太陽と月と流れ星

谷村くんと長妻くんが好きな人

シンメ厨が読むピンクとグレー。

なぜこのタイミングで、という感じですが、ピンクとグレーを読みました。
発売されたときに単行本で買って、すぐに読んだはずなんだけど、私とにかく本の記憶が頭に残らない人なので、改めて読んでみたんです。家族が文庫本で買ったのがあったのでそれを持ち帰って。映画化したしね。これ以降はただの感想なので、たぶんピングレ読むか見るかしてないとよくわかんないと思います。

たぶん、前に読んだときはただ「あぁ、河田大貴はシゲなんだな」って思っただけだと思う。どちらかといえば地味なシゲを、私自身は好きだったしウチワも持ったけど、でも鈴木真吾(ごっち/白木蓮吾)か河田大貴(りばちゃん/河鳥大)かでいえばシゲは絶対河田大貴だろうと。周りの人たちが成功していくのを羨ましく思って見つめていた立場だったんだろうなぁって。
よく考えたら、シゲはれっきとしたデビュー組なわけで、デビューできずにJr.としてジャニーズ人生を終えていったたくさんの人たちに比べたら明らかな成功者なんだよね。だからシゲは鈴木真吾でもある。それは文庫本に収録されてたインタビューで改めて感じたわけだから、やっぱり文庫本でも読んでよかった。相変わらず好きなタレントさんのことはけなしてるし過小評価してるなぁと自分の性格がよくわかりましたね。笑

で、本題の「シンメ厨から見るピンクとグレー」という点ですが。
これ、シンメ厨だったらぜひとも自分の推しシンメに!って思う小説。だからファンの目をあんまり意識せずに書いたっぽいこと言ってた割にはファンが求めてることをわかってる感じがした。シゲアキずるいな。笑
シンメって言ったって、たまたまステージ上で対称の位置で踊ることを義務付けられただけの2人組であって、もちろん能力の差や運の差がある。だから、片方だけがより華やかなステージに駒を進めて、片方が現在の位置で立ち往生してるということは往々にしてあるわけで。平等に、なんて上手くいかないのはわかってるけど、シンメ厨は鈴木真吾みたいに「2人でこの世界で生きていける」って夢見てしまいがちなのかなぁって。そういう期待が重いと感じるのは残されている側。本当にその世界で生きていきたいからこそ、相手にちゃんと顔向けできる自分でいたいからこそ、優位にいる側の好意を受け入れられないっていう気持ちもわかるんだけど、それは男の人だからよりその気持ちが強いのかなぁと思った。率直に。
たにながを見るだけでもわかるけど、白木蓮吾側になるのか、河鳥大側になるのかはそれを切り取る時期でだいぶ変わってくる。常に片方が先を進み続けてるシンメってなかなか珍しいと思うし。切磋琢磨する中で、チャンスは平等ではないにしろどちらにもそこそこ与えられてるのかなって。たにながでいえば、谷村はスノプリからのセクバで、安定しておいしい位置をもらってた(んだよね?)。それに対して長妻は、1年まるまる仕事がない時期があって。それが彼にとっては奮起して頑張る気持ちを養えた期間だったみたいだから結果的にはよかったんだろうなと思うけど。その頃だけを切り取れば谷村が白木蓮吾側なわけだけど、今はどちらかといえば河鳥大側でしょ?置いていかれてるとか、長妻ののし上がりっぷりに不安を感じてる部分も少なからずあると思う。だけど、谷村は少し先を進んでいる(ように見える)長妻を、憧れとしてではなくライバルとして見ていて。そこがたにながを見ていて安心するし好きなところ。
ピングレのごっちとりばちゃんの関係で素敵なのはお互いに憧れを抱いているところ。とは言っても、ごっちの心情は最終的にはごっちを演じるりばちゃんの想像でしかなくて、この小説全体をりばちゃんの「ごっちを通した自分語り小説」と見るなら本当にお互いに憧れを抱いているのかは疑問が残るね。まぁ、そんな夢も希望もない野暮な見方はしたくないししないから、お互いに憧れ合ってるごっちとりばちゃんがすごくいい。こうなってほしい。さっき谷村が長妻に憧れてるわけじゃなくライバル視してるのがいいって言ったけど、片方だけが憧れを抱いてるわけじゃなければ、憧れって感情自身は悪いものじゃないからね。
最後の最後に純粋に萌えたシーンの話をすると、ごっちとりばちゃんがルームシェアして、2人だけの掛け合いシーンの台本の読み合わせするのめっっっちゃ可愛かった!!!これやってる谷村長妻妄想するだけで1週間生きられる!!!(嘘)

とにかく、ピンクとグレーは、今改めて読んだら改めていろいろ考えさせられた小説でした。他のシゲアキの小説も読もーっと。